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東京地方裁判所 昭和27年(ワ)4965号 判決

原告 安部英

被告 坂本一雄

一、主  文

被告は原告に対し東京都世田ケ谷区北沢一丁目千二百四十四番地所在、家屋番号同町三八八番の二、木造瓦葺平家建一棟建坪三十坪二合五勺の明渡をせよ。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用は全部被告の負担とする。

この判決は原告において金十万円の担保を供するときは確定前に執行できる。

二、事  実

原告訴訟代理人は「被告は原告に対し東京都世田谷区北沢一丁目千二百四十四番地所在、家屋番号同町三八八番の二、木造瓦葺平家建一棟建坪三十坪二合五勺を明渡し、且つ金五万二千二百三十二円及び昭和二十六年六月一日以降右家屋明渡済まで一ケ月金二千三十一円二十四銭の割合による金員の支払をせよ。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求め、請求の原因として、

一、前記家屋は原告の姉安部シゲが昭和十六年建築して当時の夫宇山兵士の名義でこれを所有し、昭和二十五年七月五日兵士と離婚の際シゲの所有に属することが確認され、兵士よりシゲに譲渡する形式をもつてその頃所有権移転登記を受けたものであるが、昭和十八年十月シゲは被告の再三の申込により右家屋を賃料一ケ月金二百円の約定で期間を定めず賃貸した。

二、右家屋の賃料は昭和二十二年九月中一ケ月金四百二十円に増額せられ、次でシゲは昭和二十五年十二月二十日被告に対し同年八月一日にさかのぼつて公定賃料相当の増額請求の意思表示をした。然るに被告は右家屋の公定賃料は一ケ月金四百二十円なりとしてシゲの右請求に応ぜず引続き右同額の金員を供託している。然しながらシゲのなした昭和二十二年九月の増額請求はその後も引続き効力を持続するものであり、然らずとするも昭和二十五年物価庁告示第四七七号はそれ自体同年八月一日までの遡及効を認めているから、シゲのなした後の増額請求は過去にさかのぼつてその効力を出じものというべく、従つて右家屋の賃料は昭和二十三年十月十一日以降一ケ月金千五十円、昭和二十四年六月一日以降一ケ月金千六百八十円、昭和二十五年八月一日以降一ケ月金二千三十一円三十四銭となつた。

三、然るに被告は右増額された賃料を支払わなかつたから、シゲは昭和二十六年五月十六日附書面をもつて当時までの延滞賃料合計金四万三百六十円を至急支払うよう催告し、なお同時に同月末日までに本件家屋を明渡すよう要求し、右書面は翌十七日被告に到達した。右書面の表現は拙劣であるが、その趣旨は同月末日までの期間内に延滞賃料を支払うべく、その支払がないときは本件賃貸借契約を解除するというにあることは明瞭であつて、被告は同月末日までに賃料の支払をせず被告主張の一ケ月金四百二十円の割合による同年四、五月分の賃料の供託すらしていないから、右賃貸借契約は同月末日限り解除せられた。

四、仮りに前記増額請求に遡及効がないとしても、被告は少なくとも請求のあつた昭和二十五年十二月分から催告のあつた昭和二十六年五月分までは増額せられた賃料を支払うべきであるに拘らず、その後もシゲの請求を顧みず依然として一ケ月金四百二十円の割合による金員を賃料として供託し続けている。

而して原告は本件家屋を居住の目的で姉シゲより無償で譲受け昭和二十六年八月十日その登記手続をなし、被告との賃貸借関係を承継し、シゲは同年十二月二十九日その旨を被告に通知した。然るに被告はその後も増額された賃料の支払をせず、前記催告以来すでに長期に亘り適正な義務履行をしないから、本訴において賃貸借契約を解除する。

五、以上の主張が容れられないとしても、本件賃貸借契約は昭和二十六年十二月二十九日到達の書面による解約申入により終了している。

シゲは昭和十八年十月当時応召中の原告の帰還に備え、たやすく家屋の返還を受け得る親友に賃貸する予定であつたところ、北沢駅前でピアノ教授をしていた被告の執拗な希望によつてこれを住宅用として賃貸するに至つたものであるが、被告はその使用が乱暴な上に本件家屋内でピアノ教授をなし近隣の居住者から抗議を申込まれたことがあつたので、シゲは昭和十九年三月被告に対し明渡を要求したところ、被告は転居先を物色すると言明しながら何等実行せず、その後も原告の賃料増額に応ぜず地代よりも低い賃料を供託しつつ家族三人で十畳、八畳、六畳、四畳半、二畳及び六畳の応接室と七尺平方の板の間のある本件家屋を使用している。

一方原告は帰還後東京大学医学部研究室で研究を続け、昭和二十六年博士号を授与されたものであるが、九年前結婚し幼児三人を抱えて妻の実家高橋方の二階に間借をしているため狭隘な上に幼児の日常生活にも危険があり、高橋方も家族が多く原告に対し立退の要求をしており、同居生活のために姻戚関係に不和を生ずるおそれもある。又原告はその住居が手狭で不自由なためその研究資料の持運びもできず、ために医学的社会的に期待をかけられている自己の研究にも支障を来しており、且つ現在無報酬に近いため研究を続けるには傍ら開業するか副業を持つ外ないが、開業するとすれば本件家屋以外では全く不可能である。

本件家屋はもともとシゲが実弟である原告にこれを譲渡し居住せしめる予定であつたものであり、原告の住宅難を解決するには本件家屋以外にないので、シゲは終戦後再三被告に対しその明渡方を要求したが、被告は何等互譲の精神がなく原告のあらゆる希望を拒否し最近では伊藤多喜子なるものを同居させた。なお被告の妻は歯科医の資格を持ち都内においてパーマネント経営をしていると称せられ、一人息子も独立し得る年齢に達しており経済的にも余裕ある生活状態であり、昭和十九年以来の長期間内には移転の好機を得ることは容易であつたに拘らず原告及びシゲの窮境を無視し自己の居住権を主張するのみである。

以上本件賃貸借契約以来の諸般の事情を考えれば、衡平信義の原則からみて原告の解約申入は正当の事由あるものというべく、被告が明渡によりある程度の犠牲を払うとしても、それは長期に亘り誠意なき態度を持続したためみずから招いた結果にすぎない。

六、以上の理由により被告は原告に対し本件家屋を明渡すべき義務があると同時に、昭和二十三年十月一日以降昭和二十四年五月末日までの一ケ月金一千五十円の、同年六月一日以降昭和二十五年七月末日までの一ケ月金一千六百八十円の、同年八月一日以降昭和二十六年五月末日までの一ケ月金二千三十一円二十四銭の各割合による延滞賃料合計金五万二千二百三十二円四十銭及び同年六月一日以降家屋明渡済までの一ケ月金二千三十一円二十四銭の割合による損害金を支払う義務があると述べた。<立証省略>

被告訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、原告主張の事実に対し、

一、第一項の事実中、被告が安部シゲから原告主張の日時に本件家屋をその主張の約定で賃借したことは認めるが、その他の事実は不知。

二、第二項の事実中、昭和二十二年九月本件家屋の賃料が一ケ月金四百二十円となつたことは認めるが、その他の事実は全部否認する。昭和二十五年十二月中シゲは被告が供託していた賃料を受取るためその供託書を受領して行つたし、当時はさきに起された本件家屋の明渡訴訟が被告の勝訴と決定したばかりの時であつて、未だ増額請求をするなどという時期ではなかつた。

三、第三項の事実中、昭和二十六年六月十六日附書面が翌十七日被告に到達したことは認めるが、その他の事実は否認する。シゲは突如増額せられた賃料額を過去にさかのぼつて請求すると同時に家屋の明渡を要求しただけであつて増額請求でもなく又原告主張のような契約解除の意思表示でもない。加うるに右書面には相当の期間を定めていないから何等解除の効果を生じない。

四、第四項の事実中、シゲから原告主張の通知があつたことは認めるが、原告が本件家屋を譲受けたことは不知。

五、第五項の事実中、解約申入があつたことは認めるが、その効力を争う。

被告が本件家屋を賃借したのは原告主張のような経緯によるものではないし、当時シゲが原告主張のような準備と予定を持つていたことは否認する。被告が自宅でピアノの教授をしていることは認めるが抗議を申込まれたこともないし、又家屋を乱暴に使用したこともない。昭和十九年三月頃明渡要求があつたこと及びその後シゲから賃料増額の請求があつたことは否認する。被告は本件家屋を最後の生命線としてようやく生活を立てているものであり、部屋等も音楽教授に欠くべからざるものであるから決して余裕住宅というべきものではない。被告の妻が歯科医の資格を有することは認めるが、本件家屋では開業できない。他人を同居させたことは否認する。

原告の家族関係、家庭の事情、勤務状況等は全部不知。シゲは原告の住宅難を解決するために本件家屋を贈与したというのであるが、同女は本件家屋の附近に二十四戸よりなるアパートを有し、前に訴訟があつた頃は内二戸は空家となつていたし、なお北沢四丁目に宏壮なホテルを経営し居宅を増築したから、原告のためその一、二室を割愛すれば原告の住宅関係は直ちに解決され、永年契約に基いて合法的に居住する被告の住居をおびやかす必要は少しもない。

本件家屋については昭和二十三年中シゲの前夫宇山兵士から被告に対し明渡請求の訴が提起され、音楽の自宅教授が約旨に反すること及び引揚者たる兵士が自家用に使用する必要があると主張されたのであるが、昭和二十五年九月十四日被告勝訴の判決があつて確定した。原告はその一年後に被告が居住することを知りながらシゲから贈与を受けたにすぎず、従来本件家屋に全く無縁の人であつたから、たとえ自己の住居として貰い受けたとしても、永年賃借して約定賃料額は怠らず支払又は供託し適法に居住している被告に対し、所有権者たるの一事をもつて自家の都合のために明渡を求めるということは正当の事由ありとはいい得ない。被告としては宇山兵士の名をもつてなした前の訴訟が敗訴に終つた結果、シゲの名をもつては明渡要求ができないことを慮り姉弟間で家屋の名義を変更して本訴に及んだものと考えざるを得ない。

六、第六項の事実中、賃料増額の事実は否認する。被告は約定額の賃料は遅滞なくこれを支払い、原告前主がその受領を拒絶するようになつてからは全部供託したから何等の延滞はないと述べた。<立証省略>

三、理  由

一、成立に争のない甲第一号証、第七号証及び証人安部シゲの証言によれば、本件家屋は安部シゲが昭和十七年中に完成しその所有権を取得したものであるが、その登記上の名義を当時の夫宇山兵士としてあつたため昭和二十五年七月シゲが兵士と離婚するに際し登記簿上兵士よりシゲ名義に所有権移転登記手続をなし、もつてシゲの所有名義としたものであることが認められ、シゲと被告間に昭和十八年十月中原告主張のような賃貸借契約がなされたことは被告の認めるところである。

二、成立に争のない甲第六号証の一乃至二、乙第四号証の二、証人安部シゲの証言及び被告本人訊問の結果によれば、本件家屋の賃料は昭和二十二年九月頃一ケ月金四百二十円に増額され、被告はその支払をしていたところ昭和二十三年中宇山兵士から被告に対し明渡の訴を提起し、シゲも賃料を受取らなくなつたので被告は同年五月以降右金額の供託を続けていたことが認められるが、昭和二十五年十二月二十日シゲが原告主張の増額請求をしたかどうかについては、その趣旨の安部シゲの証言及び原告本人訊問の結果は被告本人訊問の結果及びこれにより成立を認め得べき乙第二号証と対照してたやすく信用できないものというべく、むしろ被告本人の供述及び右乙第二号証に成立に争のない甲第五号証と証人安部シゲの証言の一部を合せ考えると、被告は昭和二十五年十二月十六日シゲに対し賃料取立方を催促したところ、同月十八日シゲの子孝之がシゲの印章を持参して被告方に赴き昭和二十三年五月分より昭和二十五年十二月分までの賃料の供託書を受取つたことが認められ、その一週間後に被告の承諾を得ることなく返送せられたとはいえ、一旦これを受領した事実は否定すべくもない。而してシゲが原告と共に被告方を訪問したのは右受領の二日後のことであるから、その用件も被告のいうように明渡の交渉であつたと認めるのが自然であり、この点に関する原告本人の供述は理解し難いところといわざるを得ない。

加うるに、昭和二十二年九月になされた増額請求は当時の賃料増額によりその目的を達しその後何等の効力を持続するものではないし、原告主張の物価庁告示は法自体増額請求に遡及効を認めたものではなく、当事者の合意により昭和二十八年八月一日にさかのぼつて増額し得る余地を与えたにすぎないと解するを正当とし、加うるに増額請求の以前に約定賃料額の適法な供託があれば、当時までの賃料債権はこれにより消滅したのであるから、遡及効の有無に拘らず右供託の効力を消滅せしめることができないのはいうをまたないところである。

三、ところで昭和二十六年五月十六日附書面が翌十七日被告に到達したことは争のないところであるが、成立に争のない甲第二号証の一、二によれば、右書面の内容は、シゲが原告主張の増額賃料の割合をもつて計算した昭和二十三年十月以降の分合計金四万三百六十円を至急支払うべきこと、及び実弟たる原告が居住に困難していることを理由とし昭和二十六年五月末日を期限とする本件家屋の明渡請求とであつて、その請求にかかる賃料額も過大であり、その支払につき相当の期間の定めもなく明渡の要求も亦右賃料の不払を条件とするものではないことを認め得べく、従つて右書面による請求によつては本件賃貸借契約の解除の効果は到底発生し得ないものといわざるを得ない。

四、次に昭和二十五年十二月二十日原告主張の増額請求があつたことを認め難いことは前認定のとおりであり、シゲ及び原告はその後も度々被告に明渡を要求していたのであるから、被告が原告等において一ケ月金四百二十円の割合による賃料の受領を拒絶する意思が明確であると判断して、これを引続き供託したことは賃借人として賃料不払につき何等過失の責むべきものがなく、原告は何等の催告なくして賃料不払を理由とする契約解除の意思表示を有効になし得ないものといわねばならない。

五、以上原告の主張する賃料不払による契約解除の事実はこれを認め得ないから、進んで原告の解約申入の適否につき判断する。

成立に争のない甲第一号証、第三、第四号証の各一、二証人安部シゲ、安部道子の証言及び原告本人訊問の結果によれば、本件家屋は原告が昭和二十年五月結婚する時から姉シゲより住居として贈与を受けることとなつていたところ、昭和二十五年七月シゲの離婚により登記簿上もシゲの名義となり同年十二月頃から、両名共々被告に対し明渡方を要求して来たが容易に被告の容れるところとならなかつたので、昭和二十六年八月九日原告に贈与しその登記手続をした上、同年十二月二十九日シゲから被告にあて所有権移転の事実及び従来の延滞賃料全部を原告に譲渡したことを通知し、原告も同日被告に対しみずから使用する必要あることを理由として解約申入をしたことが認められる。

而して右安部シゲ、安部道子の各証言及び原告本人訊問の結果によれば、原告等夫婦は結婚以来九年余の間妻の実家高橋方の二階一室に起居し、七年四ケ月乃至一年四ケ月の三児を持ち、原告本人は医学博士の学位を持ち東京大学医学部で研究を続ける傍ら同大学教養学部の医長を勤めているが、その住居が手狭な上に幼児三人を抱えているために家庭においては読書、研究が困難な上に二階住いのため幼児の生活に常時危険があるのみならず、久しきに亘る同居と結婚当時の予想に反し容易に本件家屋に移転できないこと等の事情が加わり、妻の実家の人々とも不和を醸すおそれが次第に濃厚となつていること及び原告は経済的にも不足勝のため医院開業の希望を持つているが、本件家屋を外にしてはその住居及び開業の場所を求めることがほとんど不可能の状態にあることが認められる。

ところで、安部シゲがかつて本件家屋附近に二十四戸よりなるアパート及び宏壮なホテルを所有していたことは成立に争のない乙第四号証の一乃至三、証人遊正恒の証言及び被告本人訊問の結果により認められるが、証人安部シゲの証言によれば、前者は昭和二十三年頃宇山兵士のため他に処分され、後者は昭和二十六年九月頃その負担する債務のために所有権を失つたことが認められ、同女において被告主張のように原告等のために住居を与える余力は贈与当時においても全くなかつたものといわざるを得ない。

一方被告の事情について考察するに、原告は被告の家屋使用が乱暴であり、又約に反し音楽教授に使用して近隣から抗議されたと主張するが、この点に関する証人安部シゲの証言は成立に争のない乙第四号証の一乃至三、被告本人訊問の結果に照し信用し難く他にこれを認め得る証拠はない。而して右各証拠及び成立に争のない甲第七号証によれば、被告は妻及び子供一人と共に原告主張の面積を有する本件家屋を使用してはいるものの、中学教師の傍ら音楽の自宅教授をすることにより月収二万七千円前後を得ており、本件家屋を右自宅教授に使用することは生活上必要やむを得ないというべきであり、その妻は歯科医の資格を持つてはいるが、廃業後すでに長年月を経ており、夫婦共に他に何等の職業、収入がなく、独力で転居先又は開業の場所を入手するだけの経済的余力を持つていないこと、及び音楽の自宅教授は新たな土地で開始するときは希望者を募るに相当長期の開拓を要し、従つて移転につき地域的考慮を払わねばならない特殊の事情があることを認め得る。

而して被告が原告等の要求する賃料を支払わないことが何等契約上の義務違反でないことは前に認定したところであり、又将来原告等の明渡請求を拒み続けて何等原告側の事情を考慮するところがなかつたとしても、右のような状況にある被告としては止むを得なかつたところであつて、信義誠実の原則からいつてもあながち咎むべきことではない。

然しながら、さきに認定したように原告の生活上、職業上の困難は年と共にその度を加え、ことに長年にわたり同居中の妻の実家との感情阻隔のおそれが増大するに至つたことはみやすき道理というべく、被告が他に移転することによりその音楽自宅教授に相当程度の不利を生じ犠牲を払わねばならぬことも亦明白であるとはいえ、前者の苦痛に比し未だ忍ぶに堪えたものと考えて差支ないであろう。従つて被告のために適当な移転先があり移転について被告に多大の経済的負担を生ぜしめない限り、被告は如上の苦痛と不利を忍んで原告のため本件家屋を明渡すべく、原告がその代償として被告のため転居先を確保し又は移転のため被告に生ずる経済的損失の全部又は大部分を代つて負担するにおいては、被告は原告の明渡要求を拒絶すべき理由がないと解するを相当とする。

而して本件についてこの関係を検討してみると、証人安部道子、皆川鉄三郎の各証言によれば、原告は昭和二十八年六月頃から本件家屋の明渡を得るために、あるいは被告のために負担すべき移転料の支払方を提案し、あるいは被告の移転すべき家屋につき被告の希望条件を参酌しつゝ紹介業者に依頼して諸方を物色し、その結果相当の費用を負担して数ケ所の候補家屋を発見し被告にこれを提供してその見分方を申込んだが、被告は内一戸を見分しただけでその他は何等原告の希望を容れることがなかつたこと、而してその間被告が移転につき提示する条件は次第に原告にとり過重なものとなり、ことに移転までの期間について到底原告の家庭事情からみて受諾し得ない長期のものとなつたことが認められる、すなわち原告は自己の本件家屋を必要とする事情が益々切実なものとなるために、被告の要求するところが厳重となるに拘らず、期間の点を除いてこれに応ずる意思を示し被告の負担をできるだけ軽減しようと努めて来たものであつて、このこと自体原告が被告以上に本件家屋を必要とすることを物語るものというべきであり、被告も亦本件家屋を必要とすること大なるものがあることは看過し得ないところではあるが、原告において相当の代償を負担するにおいてはこれにより他に移転するも、そのため蒙る不利は所有者たる原告の払う犠牲に鑑みなお忍ぶべきところというべきであろう。

以上の諸点を考慮すれば、本件家屋使用の必要性は原告において被告よりも大きく、被告が明渡すことにより受くる損失は原告が負担提供すべき代償に比しなお軽きものありというべく、本件において原告がその代償提供の意思を徹回したと認められる事実ないし証拠は存在しないから、本訴によつて維持せらるる前記昭和二十六年十二月二十九日の解約申入はおそくとも昭和二十八年六月頃正当の事由があることとなつたものというべく、原告があらためて解約の申入をなすまでもなく本件賃貸借契約はおそくとも昭和二十九年一月中右解約申入によつて終了し、被告は本件家屋を明渡して原告にこれを返還すべき義務を生じたものといわねばならない。

六、次に原告の賃料及び損害金の請求について判断するに、昭和二十六年五月十七日以前の賃料が増額されたと認め得ないことはさきに判断したとおりであり、前記甲第二号証の一、二によれば、右日時原告前主安部シゲは修正率による統制賃料額の支払を請求していることが認められるから、右は同日以降右金額までの賃料増額の請求をも包含するものとみて差支ないけれども、昭和二十五年物価庁告示第四七七号により本件家屋の賃料の停止統制額に代るべき純家賃額及び地代相当額を算定する基礎となるものを確定するに足る証拠がないから、右請求により増額せられた賃料の数額は何等の立証なきに帰し、原告のこの部分の請求は全部失当たるを免れない。

七、よつて原告の本訴請求中家屋明渡の請求を正当として認容し、その余は失当として棄却すべきものとし、民事訴訟法第八十九条、第九十二条、第百九十六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 近藤完爾)

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